ストレスとは
私達が何気なく普段使用している「ストレス」。
でもストレスは、もともと工学用語です。
物体に力を加えると、形が変形します。
しかしその時、物体は元の形に戻ろうとする力が生じます。
これは応力とか、反作用と呼ばれます。
これがストレスです。
物体を変形させる為に加えた力、物体が元に戻ろうとする力によって、緊張状態が生じます。
この緊張状態を「ストレス状態」と言います。
ここで疑問が生じてきます。
普段よく使う
「あの人と居るとストレスだ」
「部長に説教くらってストレスがひどいよ」
「九段下の駅へ向かう人の波が多くてストレスが・・・」
等と使っている使い方は、正しくないような気がしませんか?
ストレスとは受けた力に対して『反発する力』のことです。
上で書いたような内容は、自分が受けたストレスについて述べていますよね。
つまり「不快」だと。
「不快」を受けたのは自分ですから、この不快に対して「反発している力」は・・・なんでしょう?
そう!
自分の心や体なのです。
ですから、ストレスによって病気が発症してしまったり、精神を壊してしまったり、その症状は人それぞれ色々な箇所に色々な形で出て来ます。
シンジくんは、「逃げちゃダメだ!」の前後に、手をグッパグッパします。
シンゴくんは、「ど~ん!」とラブを注入します。
※古すぎて誰もわからないかもw
ストレスの出方は、人それぞれなのです。
自分が一番、自分を虐めている
ここで、脳はある事を考えます。
意図せず、外からストレスを受けた場合、もしも耐えきれなかったら…。
そのまま死んでしまうか、精神が崩壊してアスカのように「汚れちゃった・・・」と言って、外でお風呂に入ったりすることでしょう。
では、どうするか?
耐性を付けておけば良い!と「脳」は考えるんです。
つまり、自分が一番ストレスを与える存在になるのです。
他の誰かが
「いや、大丈夫だよ!きっと何とかなるよ。」
と、言ってくれても
「そんなはずは無い!だってコレまでも云々かんぬん・・・」
そう言って、自分が自分の事を一番認めてあげよう、励まそうとしないのです。
これにはメリットがあります。
周りから言われる、希望的観測が「もし」実現しなくても
『やっぱりね!思った通りだった!!』
と耐性を付けておけるんですね。
いわゆる、予防注射です。
自分が一番自分の事を虐め(イジメ)ているんです。
自分虐めをやめたら楽になる・・・けど
だったら、自分を虐めるのをやめたら良いじゃないか!
そう思いますよね。
まったく、その通りです。
答えはシンプルなんです。
でも、怖いんです。
そうする事によって、「もし」その期待が裏切られたときが。
だから、必死にしがみついて居ます。
周りから見たら、足が付く深さの川の真ん中で、生えている木に必死にしがみついて居るように見えます。
だから、周りから
「大丈夫だよ」
「手を離しても足が付くよ」
って言っても
「いぃ~や!きっと手を離したら、大変な事になるんだわ」
と、男であろうが急に女言葉になってしまうんです。
これまでの経験から、かもしれませんが、「きっと悪い方向になる」という事を信じているんです。
だって、「自分はいつも運が悪いから」と。
過去の経験から、この経験もきっとソウなると信じて疑わないのです。
これを、本人は法則のように感じています。
でも法則の場合は、この「村長の頭の中」でも言っているように
「立場や見方が変わっても、結果が変わる事がない」
事を、法則と言います。
あの時に起きた車の事故と、今回運転する事は、決してイコールではないのです。
あの時に振られた彼女と、同じようにアプローチしたとしても、決して同じ結果になるとは限らないのです。
なぜなら、法則じゃないから。
さぁ、自分を解放しよう!
もう、ストレスの耐性は充分に付けたはずです。
これ以上、自分を虐める必要はありません。
最悪の事を想定しておく事は重要ですが、最悪の状態になる事を信じている必要はないのです。
あの時とは違うのだから。
さぁ!周りからは
「その手を離せば、楽になるよ」
という声がかかっています。
いきなり手を離せなければ、指を1本ずつでも良いから、離してみましょう。
「でも離したら、あの人みたいにすごいスピードで流されちゃうんだわ!」
って思うかもしれません。
でも、よ~く見てみて下さい。
その流されている人は、苦しそうに流れていきますか?
流れに身を任せているだけでは?
そして海までたどり着いて、コッチへおいでと手を振っていませんか?
おわり
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