よく隣の芝は青いという表現を聞きます。
技術職の場合、他社の工場見学に行くことがあります。
その時の感想は様々で、良い場合と悪い場合に分かれます。
悪い場合は、他社の工場がとても悪かった(ヒドかった)という事を散々こき下ろす人が居ます。
ウチの方が出来てるよ、こんなに酷いんだよ!って感じです。
良い場合は、自社の工場に比べて如何に素晴らしい点があったか
実に羨ましそうに、良かった点を語る人が多いと思います。
そのあと、逆に自社工場の酷さを語り始めるのです。
「あの工場は良いよね、〇〇が△△出来てて・・。でもウチの工場じゃ無理だね、**だから・・。」
といった具合です。
大体この会話は「隣の芝は青く見えるもんだよ」と言って話の終焉を迎えます。
でも、隣の芝は青い、という表現は、それだけの意味でしょうか?
私はもっと深い意味に聞こえます。
私生活でもそうですが、自分に無いものは良く見えます。
他者と比較して生きているからです。
自分に無いものを比べるから不足感があり、みじめな気持になります。
でも、自分にあるものはどうでしょうか?
それはやはり青い芝でしょうか?
そもそも青い芝が「良い」のでしょうか?
もしかするとウチの芝は黄色いかもしれません。
でも黄色い芝だと悪いのですか?
「いやいや、芝は青いものでしょう!芝は青い方が良いじゃないか!」
って聞こえてきそうですが、私が言いたいのはそういう事ではありません。
別に青くても良いし、黄色くても良いんじゃない!?
って事。
青でも黄色でも何色でも、本人が目指した、または経験によって得た色であれば
みんな素晴らしいと思うのです。
つまり、青ばかりが良いわけじゃない。
良いと判定しているのは主観であったり、世間一般的な指標です。
良い悪いで判定しちゃうと、「もっともっと」と、より青くなる事を目指してしまいます。
もし皆が、同じ青だったら「俺の方が青い!」って表現は無いですよね。
同じだから。
その同じ状態って、本当に良いの?
だから、歌にもあるように「みんな違ってみんな良い」です。
青くない黄色い芝でも、堂々と生きましょうよ。
胸張っていきましょう!
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