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#034 隣の芝生は青い、ウチの芝は何色?【考え方】

 

よく隣の芝は青いという表現を聞きます。

 

技術職の場合、他社の工場見学に行くことがあります。

その時の感想は様々で、良い場合と悪い場合に分かれます。

 

 

悪い場合は、他社の工場がとても悪かった(ヒドかった)という事を散々こき下ろす人が居ます。

 

ウチの方が出来てるよ、こんなに酷いんだよ!って感じです。

 

 

 

良い場合は、自社の工場に比べて如何に素晴らしい点があったか

 

実に羨ましそうに、良かった点を語る人が多いと思います。

 

 

そのあと、逆に自社工場の酷さを語り始めるのです。

 

「あの工場は良いよね、〇〇が△△出来てて・・。でもウチの工場じゃ無理だね、**だから・・。」

といった具合です。

 

 

大体この会話は「隣の芝は青く見えるもんだよ」と言って話の終焉を迎えます。

 

 

 

でも、隣の芝は青い、という表現は、それだけの意味でしょうか?

私はもっと深い意味に聞こえます。

 

 

私生活でもそうですが、自分に無いものは良く見えます。

 

他者と比較して生きているからです。

 

 

 

自分に無いものを比べるから不足感があり、みじめな気持になります。

 

でも、自分にあるものはどうでしょうか?

 

 

それはやはり青い芝でしょうか?

 

そもそも青い芝が「良い」のでしょうか?

 

 

 

もしかするとウチの芝は黄色いかもしれません。

 

でも黄色い芝だと悪いのですか?

 

 

 

「いやいや、芝は青いものでしょう!芝は青い方が良いじゃないか!」

 

って聞こえてきそうですが、私が言いたいのはそういう事ではありません。

 

 

別に青くても良いし、黄色くても良いんじゃない!?

って事。

 

 

青でも黄色でも何色でも、本人が目指した、または経験によって得た色であれば

みんな素晴らしいと思うのです。

 

 

つまり、青ばかりが良いわけじゃない。

 

 

 

良いと判定しているのは主観であったり、世間一般的な指標です。

 

良い悪いで判定しちゃうと、「もっともっと」と、より青くなる事を目指してしまいます。

 

 

 

もし皆が、同じ青だったら「俺の方が青い!」って表現は無いですよね。

同じだから。

 

 

その同じ状態って、本当に良いの?

 

 

だから、歌にもあるように「みんな違ってみんな良い」です。

 

 

青くない黄色い芝でも、堂々と生きましょうよ。

 

胸張っていきましょう!