知恵と智慧、これはかなり違います。
我々が社会生活を豊かにしていくためには、智慧を伸ばす事が重要だと言えるでしょう。
その智慧ですが、これは一体何なのでしょうか?
智慧とは、そもそも仏教用語です。
無意識や本能で感じる、善を認識する能力や判断力とされています。
また、それに基づいて行動出来る能力とも言えます。
「賢い」というのは、智慧を備えた人のことを言います。
知恵だけを備えた人のことは、「物知り」と言います。
勉強が出来なくても智慧に長けた人は、多く存在します。
逆に勉強は出来ても、知恵がない人も多く存在します。
知恵とは
知恵とは知識レベルで判断している能力や行動のことです。
本を読んだり、インターネットで情報を得たり、知識を蓄えて習得したとしても、何だか好きになれない人って居ますよね。
そう!それです。
知恵はあっても智慧がない人です。
知恵は知識レベルでの能力ですので、今現在ではコンピューターに勝てません。
何でも白黒で判断したり、固定概念(その人の正義)で物事を見ています。
割とインテリジェンスな知識人に多いタイプです。
相手が、その知識に圧倒されて遜っていると、急に高圧的な態度になりがちです。
支配欲が高いのも特徴的ですね。
三因の生まれ
知識は無くても本質的な善行を知っていますから、深いところで感じている判断や認識があります。
そんな人は、何かあったかい感じがします。
更に素晴らしいのは、智慧も知恵も兼ね備えた人です。
この人を仏教では「三因の生まれ」と言います。
本当の意味での善行を知り、更に知識も豊富ですので、周りの人を導いていく才能があります。
本質的に、『智慧>知恵』という事を判っているのでしょう。
ここで言う善行とは、人間が定めた法則な正しさではありません。
なぜなら法的に善はありますが、必ずしも善で一致する部分だけで構成されているわけではないからです。
いわゆる悪法というものも存在し、一部の経済的な利権の温床にもなっているからです。
智慧を備えた善行というのは、仏教的には「煩悩が無く、心が純粋である事」を言います。
なので人間にとって必要なのは「智慧」を磨いていく事だと思います。
智慧を磨くためには、自己観察(仏教的には内観)が必要です。
他人を観察するよりも、まずは自分を観察し、特に心の動きを追っていく事で
・どうして、そうなったのか?
・どう感じたのか?
・それを感じているのは誰か?
・その行動の動機は何なのか?
こうして自問自答していくと、原因や認識の主体に気付き易くなり、その人なりの智慧が磨かれていきます。
人間には智慧が必要です
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